なぜ「AIメガネ」が一気に増えたのか。画面の中のAIが外へ出始めている

スマートメガネ

最近、AIの話題を追っていると、少し不思議な感覚が・・・。

この前まで、AIといえばチャット画面の中にいる存在で「質問すると答えてくれる」「文章を書いてくれる」「画像を作ってくれる」、そういう「呼び出す存在」だったんですよね。

ところが最近は、GoogleのAndroid XR、Xreal Aura、Metaの新型スマートグラス、Snap Specsなど「AIメガネ」のニュースが立て続けに出てきていて、「次はこれですよ」と急かされているような感じもする。

でも、本当に変わるのはスマホからメガネなのか?

もしかすると変わるのは、人間とAIの距離感なのかもしれませんよ。

AIが画面の中から出てきた

これまでのAIは、基本的にスマホやPCの中にあり、使いたいときにアプリを開き、質問したいときだけ呼び出すというように、人間が主導権を持っていました。

ところが、ここ最近話題となっているAIメガネが目指しているのは「周囲を見る」「会話を聞く」「状況を理解する」「必要なら先回りして提案する」など常に「待機しているAI」のような感じ。

画面の中のAIではなく、もはや現実空間に常に寄り添うAIとなっており、ここが今までとの大きな違いになっています。

スマホを置き換えるというより、「見る」が変わる

「AIメガネがスマホを消す」というような話もよく聞きますが、正直、すぐにそうなるとは思えません。

というのも、すでにスマホは連絡、決済、動画、SNSなど、生活の中心に入り込んでいますから、簡単にはなくならないでしょう。

ただ、変わっていく部分はあるかもしれません。

  • 旅行先で建物を見るだけで説明が表示される
  • 外国人との会話をリアルタイムで翻訳する
  • スーパーで食材を見ながらレシピを提案する
  • 会議の内容を自動で整理する

つまり「検索する」のではなく、見た瞬間に情報が届いてくるというイメージ。

これまでは「知りたい」ことがあれば、スマホやPCを開き「検索する」という流れが一般的でした。

しかし、これからは「見る」ことでAIが理解し、情報が届くというようなことになるのかもしれません。

ちょっと便利そう。でも少し疲れそう

聞いた話レベルではかなり便利そうですし、快適になりそうな予感はするのですが、ここで少し引っかかる部分も。

最近、通知に疲れる人が増えているといいます。

「SNSを見る時間を減らしたい」「スマホから離れたい」

デジタルデトックスなんて言葉も定着しましたよね。

そんな時代に、今度は目の前にAIが常に存在する世界が登場してくる。

便利になる一方、休む場所がさらに減る可能性もあります。

「いつでもAIが助けてくれる世界」は「いつでもAIが存在している世界」でもあるんですよね。

これは便利さだけでは測れない変化かもしれません。

本当に変わるのは「スマホ」ではなく人間の記憶かも

もうひとつ気になることがあって、人間は昔から、外部に記憶を預けてきました。

  • 紙に書く
  • カメラで残す
  • スマホで検索する

AIメガネは「見たもの」「聞いたこと」「会話」「行動」、そういった日常そのものを記録できる存在になろうとしています。

つまりは「覚えておく」ことをAIに任せる時代へと向かっているわけですね。

そうすると、人間の能力が変わるというより「覚える必要のあること」が変わっていくのかもしれません。

昔は電話番号を暗記していましたが、今は誰も暗記しませんし、自分の番号すら知らない人がほとんどなのではないでしょうか?

かつては覚える必要があったうえ、その番号を操作する必要もありました。

しかし携帯電話のおかげで、登録者の名前を押すだけで電話をかけられるようになり、覚える必要、番号を操作する必要がなくなりました。

これと同じように、10年後には「覚える」という行為そのものの意味が変わっている可能性があると思いませんか?

本当は距離感の話なのかも?

AIメガネが流行るかどうか。スマホを置き換えるかどうか。

もちろんそれも気になりますよね。

でも、もっと気になるのは別のことで、AIが人間の近くに来すぎたとき、人はそれを心地よいと感じるのでしょうかね?

最初のうちはもの珍しいので快適さを覚えるかもしれませんが、慣れてくると少し息苦しく感じてきてしまうような気もします。

これまでのAIは、必要なときだけ開く存在でした。これからのAIは、いつも隣にいる存在になろうとしている。

最近のAIメガネラッシュを見ていると、新しいガジェットの話をしているようで、本当は「人間はどこまで便利さを求めるのか」を試されているようにも見えます。

正解はわかりませんが、AIが目と耳を持ち始めたことだけは確かです。

そして変わっていくのは、デバイスではなく、人間の暮らし方そのものなのかもしれません。